Welcome 2号機(ろくろ)

今回は修理日記ではありません。退屈(苦痛💦)な記事になるかも知れませんが、最後まで読んで頂ければ幸いです。

筆記具工房に、近く2号機になる(予定!?)轆轤がやって来ました。・・・正確には1年近く押上工房に置きっ放しだった物を、やっと引き取って来たということです。

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実は筆記具工房はここ川口での創業ではなく、東京スカイツリーのお膝元、墨田区押上3丁目からのスタートでした。それまで別の会社に勤めて万年筆を作っていた私は、昨年にそこを辞し筆記具の修理を専門に行うために独立した訳ですが、その時身を寄せて(工房スペースの間借り)お世話になったのが戦前から押上にあるM製作所。やはり万年筆の挽物屋さんです。今、当工房で使っている轆轤は押上のMさん(以下おやっさん)が何十年と使って来た物を引き継いだ1台です。私は押上で創業と同時に、ご高齢で廃業宣言をされたおやっさんから、轆轤を始めとした設備・工具類をすべて買い取らせて頂きました。もちろん頂いた時はかなり年季が入っていたお陰で、あちこちガタが来ており、肝心の精度もかなり狂っていたので、機械屋さんに全オーバーホールして貰わなければなりませんでした。そこから架台(やぐら)を作り、新品のモーターを設置、シャフト、軸受け、プーリーのすべてを取り付けてようやく仕事が出来るまでになったのです。今回持って来た轆轤は本体(単体)のみで、これから前述のそのすべてを仕上げる必要があります。話は少々ややこしくなりますが、写真の轆轤はM製作所で使われていた物ではなく、同じ押上から歩いてすぐのサンライト工業さん(京島)から頂いて来た轆轤です。同じオーバーホールをするにしても、オリジナルの轆轤の傷み具合によって、必要な予算や時間が大きく違って来る訳ですからなるべく状態の良い物を選びたいですよね。

押上工房にも数台の轆轤がありましたが、どれも長年の酷使で年季が入り過ぎている上、まともに使える部品すらない状態でした。そこでおやっさんが近所でかつての同業者に轆轤が残っていないか、あたってくれたのです。同じ墨田区万年筆組合(若い頃から)の仲間であるサンライト工業元社長、本間さんです。

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昨年の2016年夏、サンライト工業さんへ轆轤を引き取りにお邪魔して轆轤を取り外した後の1枚です。同社の社長さんのお父さんが使っていたのを最後に、30年ぐらい回していなかったそうな・・・。ご覧のように轆轤2台を横にならべた作業台でした。真夏の中大汗を掻いて取り外した轆轤を、一旦押上工房に持ち込みました。昔はすべて木だったんですね。押上工房もそうですが(笑)。本間さん曰く、大工や機械屋に頼んだのではなく、すべて自分たちでこしらえたそうです。「昔はどこもそうだったよ」とも。

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結構広い工場にはついこの間まで自動機(切削)を始めベンチレース、ボール盤等数多くの機械が残っていたそうですが、すべて廃棄か売却され、最後に残ったのが轆轤台でした。ところで80前の本間さんですら、若い当時すでに時代遅れの轆轤の経験はないそうです。

轆轤台の下の様子。右奥にあったモーターは何年も前に外して処分されています。この轆轤台は1台のモーターでシャフトを介して、2台分の動力としていました。2本の足踏みペダル奥にある大きなプーリーに平ベルトを掛けて、机の上の轆轤のシャフトと結んでいました。左隣の轆轤も同じ原理で回していました。手作り万年筆で有名な故酒井栄助さんの仕事場も、2台を横に並べた並列式でここと全く同じ構造でした。超余談ですが、写真は右側の轆轤の下で、長い2本のペダルはネジ切用です。そして左の短い方はモーターに繋ぐ切削用で、アクセルペダルと同じですね。左側の轆轤の下は、切削かタップ&ダイスによるネジ切専用の両回転なので、ペダルは2つだけです。

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ペダルの付け根になります。これは潜らなくても、椅子の後ろに回れば見えます。

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ここで今回お世話になったサンライト工業さんについて、簡単に触れたいと思います。

サンライト工業は1954年創業で10年以上前に廃業されました。万年筆をメインに作っていた頃は『本間製作所』という社名でしたが、万年筆産業が斜陽になり、どこも転業や廃業を余儀なくされた頃、ある商品のヒットで栄えました。それはボールペンに電池式ライトを組み込んだライト付きペンで、当時かなり脚光を浴びて特許も取得されたそうです。本間さんが仰るには、白バイ隊員にも需要があって、各警察署に大量に納めたそうです。夜、取り締まりを行う際に外で立って書類を書くのに、ライト付きボールペンの需要は説明不要ですね。本間さん、どうもありがとうございました。頂いたロクロ、大いに使わせて頂きます。

ところでこの引取りの後半も、へんな体験でした。轆轤はがん鉄を鋳物で作られており、単体でも10数キロあります。これをママチャリの荷台にゴムベルトで縛って持ち帰った訳ですが、右に左にハンドルをとられながらふらふらと夏の炎天下にペダルを漕いだものです。今どき都内でそんな物を自転車の荷台に載せて走る姿はあり得ませんが、押上の住宅街は歩道スペースなど無いに等しく(失礼!)、この短い道のりには更に亀戸線の踏切というおまけ付き! で、轆轤2台とも頂きましたのでこれを2往復。へんな人に見られなかったかな。

機会があれば、いずれM製作所についてもご紹介したいと思います。